果ての果てのハテナ

自分の気持ちを整理するために綴ります。どうぞよろしく。

読書ってほんとうに必要なの?

  趣味は読書です、ということがある。しかし、ほんとうに読んでいるかといわれれば、甚だ疑問になるのではなかろうか。

  わたしの中学時分の友人が、instagramに自分の読んだ本を投稿していた。わたしはそれを見て、顔が恥じらいで真っ赤になりそうだった。自分も同じようなことをしていた時期があったからである。オントが身体中を包み込むので、穴があったら入りたい気持ちに襲われた。たしかに、自己顕示欲のために本を読むのは、悪くはないかもしれない。しかし、映された人間にしてみれば、不快なことであるとおもう。中学時分からの親友の1人は、かれをミュートにしているそうだ。機械音痴に近しいわたしは、ミュートの仕方がわからないので、件の友人の行為と発言にいやいや傾けるしかないようだった。いわば電子的虐待である。それが嫌ならば、なぜ調べたりしないのだろうか?それは、かの友人を嘲るためのようにおもう。嫌なことだとわかっていながら、こころのどこかにそれを面白いと笑う存在がわたしにはあるのだった。わたしにも蛇のような粘っこい感性があるのだ。本を読んでいるというのに、紹介するのはベストセラーの読みやすいビジネス書ばかりで、偏っていることがいけないようにおもう。

  わたしはいわゆる「搔い撫で(かいなで)」あるいは「スノッブ」である。つまり、表面的にしか物事を見ることができないでいるのだ。友人に対して恥じらいを認めるわたしもまた、誰かに嘲笑されているのだろう。

  そう考えると、果たして、読書というものはほんとうに必要なのか?と考えることがある。